400年前といえば、江戸時代です。その時代に私たちの住むみやこ町でワインを作っていたという史実が明らかになり、なんとかしてその幻のワインをよみがえらせたいという思いがむくむくと湧いてきました。やがてガラミ酒の再興が、当協会の一大プロジェクトへと成長しました。

「400年前の日本ワイン再興」プロジェクト立ち上げの背景と概要

細川家の古文書からぶどう酒作りに関する記述が見つかり、その後論文が発表されてガラミ酒を試験的に製造し、その後「400年前の日本ワイン再興」という一大プロジェクトになるまでのストーリーをまとめました。

400年前にぶどう酒が造られていた!日本ワインの歴史を覆す発見

「永青文庫」が所蔵する細川家の古文書に、400年前に2代目藩主・忠利の命でぶどう酒を造ったという記述があり、2018年に論文が発表され話題になりました※1, 2。そのぶどう酒の製造場所が、本プロジェクトの舞台となる福岡県京都郡みやこ町です。

※1:<研究論文>細川小倉藩の「葡萄酒」製造北九州市立自然史・歴史博物館研究報告B類歴史第15号抜刷(2018.3) p.p. 60(1)-51(10)

※2:研究ノート「小倉藩細川家の葡萄酒造りとその背景」永青文庫研究創刊号、熊本大学永青文庫研究センター(2018.3)p.p.35-54 

ガラミでぶどう酒造り

地元に自生するガラミを見つけた一般社団法人豊前国小笠原協会(以下協会)は、宮崎の五ヶ瀬ワイナリーの協力を得て、自生のガラミでぶどう酒を作りました。(写真左)

ガラミ酒
(右)2018年12月ハーフボトル12本製造、(右)2020年2月フルボトルを小倉城築城の年1602年に因んで1602本製造

フルボトルのガラミ酒は「伽羅美酒」(ガラミシュ)と名付け、小倉城にある「しろテラス」で完成披露会を行いました。(写真右)

細川小倉藩のぶどう酒の再興へ

このようにガラミでぶどう酒を製造しましたが、本当の意味で400年前のぶどう酒を再興するには、ガラミの収穫・醸造を地元で行わなければなりません。そこでクラウドファンディングで資金を集めることにしました。クラウドファンディングは多くの方からご支援をいただき、無事に目標額を達成いたしました。詳細は下記クラウドファンディング・レディーフォーのページをご覧ください。

細川家が愛した「400年前の日本ワイン」を同地に再興したい | レディーフォー(外部リンク)

なぜ細川小倉藩はぶどう酒を造ったのか

キリスト教でワインはイエスの血を表すミサの必需品。1612年には徳川家康のキリシタン禁令施行後は、ミサに使うワインの流通が減ったといわれます。初代小倉城藩主・細川忠興の妻ガラシャもキリシタンでした。禁教令下にぶどう酒を造った2代目藩主の忠利と、母ガラシャがキリスト教信者であったこと等、背景を知るほどにぶどう酒造りの動機に想像が膨らみます。

細川小倉藩のぶどう酒造りの歴史

細川小倉藩のぶどう酒造りは1627年〜1630年の4年間以後、1632年8月にも忠利がぶどう酒用ガラミの調達を依頼した資料が見つかりました※3。忠利の熊本入城が1632年12月であったことを考えると、熊本へ移った後にキリシタンへの弾圧激化したことは、ぶどう酒造りに大きな影響を与えたと考えられます。

※3:細川家による葡萄酒製造の下限を示す 寛永9年(1632)8月の史料を新たに発見 熊本大学https://www.kumamoto-u.ac.jp/daigakujouhou/kouhou/pressrelease/2020-file/release201203.pdf

ガラミで造ったぶどう酒「伽羅美酒」の特徴

伽羅美酒(ガラミ酒)は口に含んだ時の、野生的なぶどうの香りと酸味が特徴。深い色合いから渋みが強いと思われますが、あまり感じません。和食との相性は特によく、洋食との相性も良好。伽羅美酒の酸味とフルーティな香りは、油っこい料理でも口の中をスッキリさせてくれます。